月下の夜想曲 -4- 遭遇・1

(執筆日:1998年02月20日)

 雪乃という少女が見つからぬまま、二週間が過ぎた。相変わらず世間では、忽然と人が消えている。もはや、いちいち人数を数えるのすらわずらわしくなるほどだ。
 この事件はこれまで頻繁に起こっていたわけではなかった。珍しくないほどの量ではあっても、「たまに」という形容で充分間にあったのだ。今までは。
「さすがに東京だけらしいな。集中的に起こってやがる」
 険しい顔で、新聞を睨みつけるように見ていた高嶺がぽつりと言った。
 その姿は青年に手の届く年齢の男性でありながら、可愛らしいエプロン姿である。
 新聞を持つ手には菜箸も握られており、その近くではグツグツと音を立てる鍋が火にかけられている。
「……美人はやっぱり何をしてても似合うねー」
 しみじみと感想を述べた和端に、高嶺はものすごく嫌そうな顔をしてみせた。
「なんで高嶺は男なんだろうねー。もったいないなー。彼女に欲しいよ」
「俺と付き合いたかったら、おまえが女になれ」
 冷めた声と言い回しが跳ね返ってきても、和端はまったく気にならない様子で、居間のテレビをつけに行く。
「やだな~最近の世の中物騒で。平和が一番いいのになー」
 スイッチを入れた傍からニュース速報で、またもや人が消えた事件を報道している。困ったもので、すべてが本当の事件とは限らない。ただの失踪や蒸発まで、事件じゃないかと騒がれる始末だ。消えたわけではなく、ちょっと出かけただけ、目を離した隙に子供がうろちょろしたものさえも、事件かと騒がれてしまっている。
 捜査は難航していた。
 なにしろ証拠もなければ、理屈にも当てはまらない出来事が起きているからだ。
 犯人がいるでもなし、いたとしてもあまりに無差別に事件は起こっている。場所もまちまちだ。さすがに都心は都会の中心だから多かったが。
 その都会の中心に住んでいる者としては、いつ自分の身にも同じことが起こるかもしれないとヒヤヒヤしている。
「都会ってただでさえ、荒れやすいからねぇ……」
「そこの大学生、怠けてないで少しは手伝え」
「えー? やだよー」
 子供が駄々をこねるような言い回しで、和端が嫌がった。もともと期待などしていなかったので、高嶺はそれ以上何も言わなかった。どうせ天地がひっくり返っても手伝ってくれはしないのだ。
「なんで俺が男のために料理なんかしてやんなきゃならねーんだか」
 ぶつぶつ文句を言いつつも、高嶺はきちんとやってしまう性質だった。
「ほらおまえ、そこ! なんで服をすぐに脱ぎすてんだよっ。ちゃんと片付けろよなっ。拾い集める俺の身にもなれ」
 開けっぱなしの和端の部屋が、嫌でも目に入ってくる。散らかり放題の和端の部屋は、当然ながら服も脱ぎ散らかされている。
 いっそ捨ててやろうかと何度考えたか。
 高嶺が同居していなかったら、いったい和端はどんな生活をしていたことだろう、と考えるだけで鳥肌が立つ。
「俺の部屋なんだから俺の勝手だろ。だいたい俺、おまえの部屋には干渉しないじゃん。なのになんでおまえは俺の部屋まで口出ししてくんの?」
 テレビから視線をはずし、不満口調になる和端。だがしかし、許せる程度と許せない程度というものがある。それを言おうかと高嶺が口を開きかけると、先に和端が喋りだした。
「だいったいさぁ、高嶺の部屋って堅苦しすぎんだよね。むずかしー本ばっかしあって、部屋に入んのも嫌だし俺。だから近寄らないんじゃん」
「おまえの頭が軽すぎんだよ。それでよく大学入れたな」
「いざという時には力を発揮する人なんだよ。実は俺、すごいの!」
「ふ~ん。へー。あっそ」
 冷たい声を返して、高嶺は付き合うのをやめた。今は料理の方が大事である。
「高嶺だって大学、入れたんだよ? 頭いいんだからさ」
 ぽつ、と背中に聞こえてきた声。高嶺は思わず振り向いたが、和端は相変わらずテレビを見ていた。チャンネルはすでに変えてあって、明るいバラエティ番組になっている。
「行けるわけねーだろ。家飛び出してきてんだから」
 聞こえるか聞こえないかの声で高嶺が呟いたが、和端の耳には届いていた。
 だから、おせっかいだとは思いつつも、一応和端は言ってみた。
「お父さんとは仲良くしなね。血ぃつながってんだから」
「……」
 高嶺の返事はなかった。

 夜中、高嶺は寝つけなくてベッドから出た。時計を見ると深夜の二時過ぎ。本でも読もうかと思ったが、そんな気にもなれず、結局上着をはおって外に出た。
 歩いて五分の場所に自動販売機がある。
 高嶺はそこで缶コーヒーを買って、プルトップを開けた。夏でもなく冬でもない夜の空気は心地よかった。いつもこんな感じなら楽なのに……と高嶺は思う。
 秋というのは色々な顔を持っている。もの寂しげな感じもすれば、運動や食欲の季節でもある。
 自動販売機にもたれて缶コーヒーを飲んでいた高嶺は、突然、寒気を感じて周囲を見渡した。
 車も人も通る気配がない。家々も電気が消えてシンと静まり返っている。道路に設置されてある電燈と月の灯りの光しかない。
 そんな場所で。
 地面を這いずる奇妙なモノがあった。
 かすかな明るさに照らし出されており、高嶺の目にはしっかりと見えた。
 なんと形容すればわからないほど、奇妙なモノ。
 高嶺の全身に鳥肌が立った。
 同時に吐き気がした。
 肉の塊にも見える。ゼリーのようなぶよぶよとした弾力を感じる。それは生きているかのように、ゆっくりと地面を這いずっている。
 それは高嶺を見つけて喜んだようだった。
(ご馳走)
 という声のようなものが、高嶺の頭に届いた。
 高嶺はコーヒーの缶を落とした。目は奇怪な塊に釘付けである。逃げなくてはならないのに、足が動かなかった。
(これは、なんだ?)
 見たことも聞いたこともない、異形の生き物。
 そもそもこれは、本当に生き物なのか?
 高嶺を目標にして、それは近づいてくる。
 高嶺が逃げようとしないことに安心してか、それはゆっくりとやってくる。
 その時。
 ぐいっといきなり腕をつかまれた。
「うわっ!」
 思わず悲鳴をあげた高嶺が目をそっちへ向けると、見知らぬ青年が高嶺の腕を引っぱった。
「なにボーッとしてる。逃げるんだ」
「逃げ……?」
 思考がうまく働かないのか、高嶺はもうわけがわからない。じれったくなったのか、青年は力任せに腕を引いて高嶺を走らせた。
「いいから来い!」
 言われるままに高嶺は走り、後ろを振り返る余裕すらなかった。
 獲物に逃げられたことで腹を立てている思考が、高嶺の脳裏に届く。
 気がついた時には、知らない家の中だった。息を切らせて肩で呼吸をしながら、高嶺は玄関に立ち尽くす。目の前の青年も同じように走ったというのに、少しも息を乱していなかった。それに気づいた高嶺は、不安そうに彼を見上げる。
 青年は高嶺よりも身長が高かった。
「……あの?」
「僕が通りかからなかったら、きみはあの化け物の餌食になっていた。そんな迷惑なことはさせられないからな。必然的に助けることとなった」
 冷徹な態度で青年が告げた。
「……餌食……?」
「食料にされるということだ。きみの身体にも魂にも、多量の栄養が詰まっている。奴らにとってはこれ以上ないご馳走だ」
 ぞくっとした。
「……喰われるとこだったのか……」
 手を見ると震えていた。今さらながら、怖かったことに気づく。
 助かったことがようやくわかり、高嶺の全身から力が抜けた。
「とりあえず、中に入るといい。飲み物くらいなら用意できる」
 言われるまま、高嶺は中へと入った。部屋の造りを見ると、どうやらここはマンションらしい。夢中で走っていたから気がつかなかった。
 中は広かった。いったいいくらするんだろう、と高嶺は思わず考える。
 ソファを勧められて腰をおろした。部屋の中は何から何まで豪華で、気後れする。
 目の前に紅茶が出てきて、高嶺は口にした。深く息をつく。
 向かい側のソファに青年も腰をおろす。今さら気づいたが、ずいぶん端正な顔立ちをしていた。年齢は、高嶺よりも少し上くらいだろうか。
「助けてもらって、どうもありがとうございます」
 礼を言うのは苦手だったが、ややぎこちなくとも口には出せた。すると青年はニコリと笑顔を浮かべる。
「僕の名は弥帋(やがみ)だ。きみは?」
「……高嶺、です。氷室高嶺」
「そう」
 弥帋だけでは苗字なのか名前なのか判断つかなかったが、青年はそれ以上口にはしなかった。場が静かになり、高嶺は少々居心地が悪くなる。黙って紅茶をすすっていた。
 ふと、疑問が湧いた。
「あの化けモン、いったいなんだったんですか」
「殀愧(あやぎ)という生き物だ。その中で最も能力が低く思考も浅いのが魏魔(ぎま)と呼ばれている。しっかりとした形をもたない、生まれたての殀愧だな。養分を取り、形に変化が生じたら眩魔(げんま)と呼ばれるものになる。あと外見が麗しく思考能力も高いのが魅魔(みま)というものだ。その形態だけは、養分の取り方が違う。ある特殊の餌を吸収したものだけが、魅魔となる。……たとえば、きみが先程の魏魔に喰われていれば、あれは魅魔へと形が変化していたところだ。きみが何故、ご馳走と言われたのかわかったかい?」
 弥帋の口から飛び出す詳しい内容に、高嶺は眉をひそめた。知りたかったのは事実だが、これほどまで詳しく説明されてしまうと、この相手がいったい何者なのか勘繰ってしまう。
「詳しいですね」
 刺のある高嶺の口調に気づいてか、弥帋がふと微笑んだ。その余裕ある態度に、高嶺はなぜか反感を持った。
「きみは覚えてないようだ。僕は以前にもきみと会ったことがある。まだ二年しか経っていないと思うんだが、それほど僕の印象は薄いのかな」
 高嶺は驚いて顔をあげた。相手の顔をまじまじと見つめるが、記憶を探っても思い出せない。二年前といったらまだ高校生の頃で、忽然と人の消える事件が校内で発生した時期だった。ちょうどいろんな記憶が霞がかっていて思い出せない頃。
「……覚えて、ません」
 本当に会ったのだろうか。青年の口からでまかせではないのだろうか。それとも、霞かがった記憶のどこかにいるんだろうか。
 高嶺の返事に青年は気にした様子はなかった。高嶺が覚えていないことを先刻承知している風だった。それがますます高嶺を不審にさせる。
 高嶺は、まだ半分しか飲んでいない紅茶をテーブルに置いた。それから立ち上がる。
「俺、帰ります」
「今、外に出たら、また魏魔と遭遇するかもしれないな。今度見つかれば、無事では済まないだろう。基本的に魏魔と眩魔は夜間しか徘徊しない。昼間に動けるのは魅魔だけだ。できることなら僕は、今夜ここに泊まることを勧めたい。どうしてもきみが帰りたいと言うのなら、止めはしないがね」
 立ち上がった姿勢のまま、高嶺は動かなかった。こんな風に言われて、のこのこ帰れるはずがない。高嶺だって危険とは遭遇したくないし、命だって惜しい。
 困ったようにしばらく立ち尽くし、それから、ためらいがちにソファに座った。不本意ながら、という態度は隠さなかった。
「……最近、人が消える事件がたくさん発生してるんだけど、あれってまさか……」
「魏魔と眩魔に喰われた人々さ」
「……!」
 高嶺は目を瞠る。
「魏魔にしても眩魔にしても、あらゆる物を喰いつくせるからね。喰うというよりも溶かす、と言った方が正しいだろう。形あるものすべてを消化してしまう。衣服も持ち物も、髪の毛も骨もね。だから忽然と消えることが可能になるんだ。もちろん証拠も残らない」
 最終的には迷宮入りするしかない。
 事件が解決しないはずだった。
「目撃した人間はたいていが喰われる上、奴らもむやみに見つからないように行動する。手がかりをつかめるはずがないんだ」
「あんたは、なんでそんなに知ってるんですか」
 弥帋は意味ありげに笑んだだけだった。教えるつもりはないらしい。
 高嶺はやっぱり帰りたくなったが、命が惜しいので席を立てなかった。
「さて、もうこんな時間だ。きみも寝た方がいいだろう。眠れないかもしれないけどね。客室があるからそちらに案内するよ」
 高嶺が時計を見ると、もう夜中の三時を過ぎていた。
 案内してもらった部屋には立派なベッドがあって、横になってみると快適だった。しかし、高嶺は眠れそうにないことを実感していた。下手に眠ればうなされるような気がしたからだ。

つづく
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