月下の夜想曲 -7- 侵略の夜

(執筆日:1998年03月13日)

 高嶺はいつまでも寝つけず、ベッドの中で何度も寝返りをうつ。
 殀愧という化け物が怖くて眠れないのとは違った。怖くないのかと問われれば、当然怖いと答えてしまうだろう。しかし、高嶺が寝つけずにいるのは、その理由からではなかった。
 身体は眠いと訴えている。しかし、神経が眠ってくれない。
 枕が鬱陶しくて、はずして腕に抱く。やはり眠れないが、起きて本を読む気力もない。明日はバイトもあるし、洗濯も掃除も料理もやらなくてはならない。だからちゃんと寝なくてはと思えば思うほど、寝つけなかった。
 二時間は過ぎた頃、ようやく高嶺はうとうととまどろみかけた。
 すると夢とも現実ともつかない世界でたゆたいはじめる。

 そこは銀色に輝く世界だった。奇妙な色彩だ、と高嶺はぼんやりと思う。夢を見ている自覚はなんとなくあった。空も大地も銀色で、眩しいような寂しいような妙な気分になった。すべてが銀色だと、返って地味なんだなと思った。活気に欠けている。
 だがそこに暮らす人々は暗くはなかった。肌も髪も目もすべて銀色だった。夢だったので、高嶺は奇妙に思わなかった。そんな世界もあるんだな、と素直に受け入れた。
 人々は穏やかでおっとりとして、争いなどとは生まれてこのかた関わったことのない様子で静かに暮らしている。確かに活気からは遠いのだが、明るく平和である。
 知識の程はものすごく、理系に強いんだな、と高嶺は思った。科学技術の腕は相当なもので、研究所のようなものが建っていた。人体実験のような物騒なものもなく、すべては数値によって計算され、小動物による実験さえなかった。その前に、銀色の人間の形をした種族以外の生き物が、そこにはいなかった。
 彼らは知識も相当だが、外見の方も相当だった。美貌、と一言で片付けていいのかすら迷う。尋常ではない。なのに性衝動のようなものも存在せず、淡泊なものだった。味気ない世界と言えば、味気ない世界である。
 高嶺はなんとなくその世界を歩いてみた。周囲の人々は己の生活を淡々とこなして、高嶺には目もくれない。彼らにとっては高嶺の姿など奇異に映ると思うのだが、誰も関心を寄せてこない。
 突然、静寂が破れた。
 空間を破って、何かがこの世界に入り込んで来た。まさに、空間を破ったとしか表現出来なかった。侵略者は次元を超えて現れた。
 殺戮は速かった。侵略者の多くは魏魔と呼ばれるブヨブヨとしたゼリー状の生き物で、中には眩魔と呼ばれる何らかの形をしたものがいた。眩魔の形はさまざまだった。中途半端に人の形をしたもの、犬や熊などの獣が無造作に混ざったもの、喰ったものの形をそのまま取り込んで中途半端になっている。それが返って不気味さを増長させた。
 魅魔だけがいなかった。高嶺は魅魔を一度も見ていないのだが、何故かそれだけは理解していた。次々と銀色の人間たちが殺されていく。喰われていく。
 その光景が目に飛び込んで、高嶺は目を瞠った。
 魅魔の正体が、初めてわかった。

「──っ!」
 喉が急に冷たくなって、高嶺は弾かれたように目を覚ました。
 真っ暗な部屋の中。しかし目が暗闇に慣れているので、ぼんやりと見分けられる。高嶺はゆっくりと視線を巡らせて、ビクッと身体を硬直させた。
 ベッドの傍らに、何かがいた。
 人の形をしていたが、明らかに人とは違う。
「お目覚めかい?」
 それは喋った。喉の奥でかすかに笑っていた。
「入り込むのはたやすい。玄関から堂々と入ったよ。鍵というものがかかっていたようだが、そのようなものはたいした邪魔ではない。昼間は上等な餌を見つけて我をなくしていた。感づかれるようでは情けないというもの」
 高嶺は声が出ないことを知った。喉が冷たい。なぜだろうか。
「向こうには余計なモノがくっついているのでな。扱いやすい方へ来た。……どうした? 叫ばぬのか? それとも……喉に張り付く魏魔が邪魔なのか?」
 面白がる声が耳に届き、高嶺はギョッとした。喉に張り付く魏魔。
 魏魔というのは、弥帋が言っていた……!
 高嶺は慌てて喉に手をやった。そこにべっとりと張り付くもの。異様に冷たい。痛みも何もないから、まだ喰われてないことは確かだ。
「そいつはな、何も包み込んで溶かして喰うだけが脳ではない。知能も低く、餌に対して意地汚ないほど貪欲だが、われわれの言葉には従う。喰うなと言えば喰わぬし、殺すなと言えば殺さぬ」
 身体に絡みつく魏魔が、高嶺から少しずつ自由を奪っていく。普通に餌と判断されたのなら、この時点で溶かされているはずだった。無理やり唇を割られ、ドロリとした液体とも物体ともつかぬものが入ってきた。例えて言うなら、餅とゼリーの中間のようなものが意志を持って口の中へ滑り込んで来ているような、そんな感じだった。高嶺は嘔吐感をもよおしたが、形を持たぬ魏魔はどんどん喉の奥へと流れてくる。叫びたくても声がでなかった。
 身をよじって苦痛に耐えた。喉から食道、胃へと激痛が走る。涙が溢れて止まらなかった。身体の中に入っていく魏魔を引きずり出したかったが、全身に力が入らない。
 魅魔は静かにその光景を眺めていた。瞳に愉悦の色を宿らせて。
「数少ないラーヴァの魂。あっさりと喰らってしまってはもったいない。まずは利用させてもらう。我らの奴隷となれ」
 魏魔は完全に高嶺の内部に入っていた。うつろに目を開いたまま、高嶺はぐったりとして動くこともできない。胸の辺りが熱かった。何かがズルズルと動いており、時折痛みが走る。
「う……」
 吐き出してしまいたいのに、できなかった。高嶺の脳裏で混乱が始まる。身体に入った魏魔が、高嶺の意識を乗っ取ろうと動きはじめていた。高嶺の記憶も知識もすべてコピーして、魏魔のものになろうとしていた。魏魔それ自体は知能が低かったが、コピー能力にはすぐれている。材料さえあれば、いくらでも取り込める。
 高嶺は必死で目を閉じた。意識を奪われまいと集中する。内臓に痛みが走るたびに集中力が乱れるが、それでも負けじと頑張った。
「無駄なあがきを……」
 ベッドの脇に立つ魅魔が笑う。
「まあ、それならそれでもよい。ラーヴァの意識をそうたやすく奪い去れると考えていたわけでもないからな。ゆっくりと時間をかけて、奴隷にしてやろう」
 魅魔が高嶺のベッドから離れた。どの方向へ進んだのか、高嶺は苦痛に耐えているために見ることができなかった。かなりの時間が過ぎた頃、……ようやく高嶺は身体が楽になるのを感じた。身体だけでなく、意識も楽になった。
(勝ったのか……?)
 内部に入った魏魔に意識を乗っ取られずに済んだのだろうか。
 高嶺は荒くなった呼吸が整うのを待って、あれだけの痛みが完全に消えていることに気がついた。強引に脳の中身を引きずり出されるような感覚もなくなっていた。
(勝ったのか?)
 意識の奪い合いで、高嶺が勝ったのだろうか。わからなかったが、自分がまだ自分でいられているということは、無事だった、ということなのだろう。しかしまだ油断はできなかった。魏魔はまだ高嶺の中にいる。
「……なんで、俺なんだよ」
 狙われているのは和端なのだと思っていた。それはそれで嫌だったが、まさか矛先が自分の方へ来るとは思いもしなかった。先程のことを考えただけで気持ちが悪くなってくる。嘔吐感におそわれるが、吐くまでいかなかった。無理に喉に指を突っ込んでみたところで、魏魔を吐き出すことは恐らくできないだろう。
 神経の一本一本に何かが張り巡らされたような、あの感覚。
 乗っ取られるのも時間の問題かもしれなかった。

 結局、あれから一睡も出来ずに悩んでいた高嶺は、翌朝になって精神的に落ち着いていた和端の顔を見るなり憎たらしくなってきた。
 弥帋もいながら、気配にまったく気づかなかったのだろうか。いくら居間を挟んだ離れた場所に部屋があるとはいえ。
「高嶺、おはよー。やっぱねー、弥帋さんがいてくれるとすっごく心強いよ」
「ふーん……」
 何があろうと結局お気楽な和端に、高嶺は愛想も糞もない返事をする。
「じゃあきっと、ゆうべは熟睡だったんだな?」
「高嶺は眠れなかったの? ひとりだから怖かったんだ? だったら俺の部屋来ればよかったじゃん。三人の方がもっと心強かったのにさ」
「……」
 高嶺はゆうべの話はしないつもりだった。和端に言っても何も解決しないだろうし、弥帋はアテになるのかどうか怪しい。警戒心が強いだけなのかもしれなかったが、なんとなく高嶺は弥帋にすべてを打ち明ける気になれなかった。
 和端が聞いたら、単なる人見知りと言われるだけかもしれないが。
 弥帋が和端の部屋から出てきた。パジャマを借りたらしい。寝起きにもかかわらず、相変わらず取り澄ました雰囲気だった。イメージがひとつも崩れない。
 高嶺は挨拶もせずに、朝食の支度にとりかかった。朝になっても高嶺の意識は高嶺のままだ。変化がないうちは、何事もなかったようにふるまおう。自体を軽く考えているつもりではないのだが、一応、和端には余計な心配をさせたくない。
 和端に借りたパジャマ姿のまま、弥帋は居間の椅子に腰掛けた。
「高嶺くんは、料理が得意なのかい?」
「そうなんですよ、めちゃめちゃ得意で、すっごくおいしいんです」
 和端が絶賛する。
 そのお気楽さに、高嶺はムカムカしてきた。
 高嶺はゆうべ、死ぬ思いをしたのだ。なのに、なぜ和端はヌクヌクとしていられるのだろうか。白状しない高嶺にも問題はあるのだろうが、しだいに攻撃的な気分になった。
 朝食をテーブルに並べた。ふたり分だった。
 和端が怪訝そうな顔をする。
「三人だろ?」
「食欲ない」
 昨夜変なものを飲み込んでしまったのだ。食欲などあるはずもなかった。作るだけ作って、「片付けはおまえがやれよな」と言い残し、高嶺はバイトに行く支度をはじめようと自分の部屋に戻ろうとした。
「高嶺、ちゃんと食べないと体力もたないよ」
「いらない」
 食べている光景を見ているだけでも気持ちが悪い。匂いもだ。
 自室で着替えながら、昨夜のことは実は悪夢か何かだったのではないかと思いはじめていた。だが、あの苦痛は決して夢ではありえない。今、身体はなんともないし、痛みもない。しかし魏魔は夜間に徘徊すると聞いた。今は朝だ。体内で眠っている可能性も高かった。
 ……考えただけでも気色悪い。
 この身体の中に何かがいるのだ。あのドロドロとした生き物が。内臓と絡みあっているのだ。痛みがないだけで、喰われている可能性すらある。
 目眩がした。
「高嶺っ」
 身体が傾いて倒れかけたことを、高嶺は支えられてから知った。いつの間にか全身に汗をかいていた。体調に変化はない。きっと精神的に負担がかかっているせいだ。
 目の前で和端が睨みつけてきた。
「……勝手に人の部屋」
 文句を言おうとしたら、大声が高嶺に降ってきた。
「具合悪いなら悪いって何で言わないんだよっ。高嶺、顔色も最悪だよ。バイト行かなくていいから、寝てなさい」
「いい」
 和端の手を振り払って、高嶺は着替えはじめた。
 黙々と支度を進める高嶺を、和端は眉を寄せて見つめている。その背後に、弥帋が立った。同じく高嶺を眺めている。
 着替えを終えて、財布をズボンのポケットに押し込んだ高嶺は、和端の横を無言ですり抜け、その先にいる弥帋へと視線を向けた。警戒の去らない眼差しで。
「和端に化けモンを近寄らせんなよ」
 一言残して、高嶺は部屋から出て行った。玄関のドアが閉まると、和端は痛みを覚えたような表情を浮かべるが、唇を噛みしめるだけで無言だった。

 弥帋はしばらくこの部屋にいることに決めた。
 どうせ自分のマンションに帰ってみたところで、独り暮らしなので面白くもなんともない。それよりは、この知り合ったばかりの若者たちと一緒に過ごしてみたかった。
 年の差はたいしてないものの、弥帋から見れば高嶺も和端も子供だった。それだけ弥帋の精神が成熟しているということであり、その差が生まれる理由を彼は知っていた。
 高嶺の性質も和端の性質も、少しの時間接しただけでは判然としない。彼らをよく知るためにも、当分の間おなじ屋根の下にいてみるのも悪い気がしなかった。
 部屋から出ていった高嶺を気に病む様子で、しばし無言でたたずむ和端。そんな彼を眺めやりながら、弥帋はゆっくりと部屋の中を見回す。
「きみたちの付き合いは長いのかい?」
「……高校の同級生です」
 ようやく和端の意識が弥帋の方へと向いた。
「高嶺があんなだから、友達って感じとはまた違ったんだけど。でもべつに仲悪くなかったし、俺が独り暮らしする時に、どうせならふたりの方が生活楽だから一緒にどう?って訊いたら、あいつ二つ返事でOKしたんです。なんか結構ふくざつで、考えてることわかりにくい時もあるんだけど、友達だと思ってんの俺だけかもしれないんだけど、放っとけないとこあるんですよね、あいつ」
 照れたように笑った。
 だがすぐに、表情を曇らせてため息をつく。
「高嶺、変でしたよね」
 問いかけというよりも確信の声だった。
「変だったね」
 弥帋が返す。
「……どうしたんだろう」
 高嶺は誰かに相談したりするような性格ではなかった。だから和端はいつでも推測するしか方法がない。
「和端くん」
 弥帋に声をかけられて、和端は顔をあげた。
 微笑を浮かべる弥帋に、和端はわずかに眉根を寄せる。
「殀愧を撃退する力が欲しいかい? きみにはそれだけの能力が眠っている。ただし、苛烈な戦いになることは明らかだけれどね……」
 一種、誘惑の声だった。
 このままいつか狙われて殺されるのを待つくらいなら、反撃した方がマシだ。
「俺の中に、そんなものがあるんですか?」
 和端は半信半疑に問いかけた。もしもそれが本当なら、その力が欲しかった。
「もちろんだよ……」
 弥帋は変わらぬ微笑を浮かべたまま、力を得る方法を口に乗せた。

つづく
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