グラスの泡

(初出:不明 執筆日:2005年05月15日)

 グラスの中では透明な泡が、止まることなく現れては消えていく。
 数えきれないほどの途方もない泡だ。
 カウンターテーブルで炭酸水の中の泡を見つめていたあたしは、横から伸ばされた指に気づく。
 テーブルに置かれた指の下には小さな鍵。
 薬指には指輪がついている。
「返すよ」
 当然だ。あたしは思う。
 独身という嘘は重罪だよ。
 あたしは黙ってグラスの中の泡を見つめていた。

 部屋の中にはたくさんのブランド物のバック。服。ジュエリー。
 みんな買ってもらったものだった。
 こんな結末はムナシイね。
 もったいなくて全部捨てることもできない自分が情けない。
 潔い人ならきっと、みんな捨ててしまうのだろう。
 割り切れる人ならきっと、みんな質屋に持って行くのだろう。
 手元からなくせば、それだけあたしの築き上げた過去が消える。

 五年の歳月というのは意外と長いね。
 バッグも服もジュエリーも目に見える形。
 ただの物だというのに。
 そこには深い思い出があったりもするのだ。
 捨てても売っても、手元からなくなれば今までの五年間も同時に消えてしまうのだ。

 グラスの中の泡は、いとも簡単に消えていく。
 物事は、始まればいつか終わる。
 ただそれだけのことなのだ。
 あたしは独り暮らしの冷蔵庫を開け、そこから発泡水を取りだした。
 グラスに注ぐと、カウンターテーブルの上に見た光景とほぼ同じものが完成した。
 現れては消え、現れては消えていく泡を眺めているうちに、少しずつ自分というものを取り戻していった。
 人は意外と簡単に立ち直るものなのだ。

 明日にはバッグも服もジュエリーも捨ててしまおう。
 ふとそんな決心が固まった。
 今までの五年間を消してしまうのではなく、それを踏み台にして今後の人生を生きるのだ。
 五年かけて勉強したのだと思えば、この五年間は無駄じゃない。
 同じあやまちを繰り返さなければいいだけのことなのだ。
 あたしはグラスの中の泡をすべて飲み干した。

END
[ad#co-1]

小説 TOPに戻る