月下の夜想曲 -2- 記憶の中のMIST

(執筆日:1998年02月07日)

「宮野ぉ、今夜さ合コンあんだけど、来ねえか? かわいい娘いっぱい来るぞぉ」
 大学の構内で、いきなり背後から勢いよく肩を組まれて、和端はぎょっとした。
 そんな一瞬の驚きは顔にも態度にも出さず、「よぉ、田嶋じゃん」なんて明るく言ってみたりする。
 田嶋久志は、和端と同じ大学で専攻も同じだ。そのせいか、よく声をかけてくる。
 和端はその天性の明るさで友人が多かったが、田嶋は少々苦手である。
 理由は考えてもよくわからなかったのだが……。
「合コンねぇ。いいねえ」
 苦手さをまったく見せずに、和端は乗り気な態度で笑う。元来、かわいい女の子のいる場所は大好きなので、断わることなど滅多にない。参加できる場所はなんでも参加する。
「人数は?」
「今んとこ、男・三人の女・五人。おまえも含めてな」
「あれぇ? 男の方が圧倒的に少ないじゃん」
「だから集めてんだよ。なんか他に心当たりあるヤツなんかいねぇ?」
「心当たりねえ。なくはないけど……」
 高嶺を頭で思い浮かべながら、和端は首をひねった。
「どうだろうねぇ。難しい人だからねぇ」
「いい男とかだったら、やめろよな? そいつに全部持ってかれるから」
 田嶋が念を押す。和端はためいきをついた。
「あちゃ~。俺のよく知ってる人、まるっきりいい男だよ。すごい美人だよ。あいつ連れてったら完全に女の子連れてかれちゃうねー」
「よこすな、そんなのは」
 睨まれて怒られた。でも……と和端は思う。
「連れて行きたいなー。あの人インドアだから、ちょっとくらい外に連れ出さないと埃かぶっちゃうし」
「なんだよそれ。オタクなのか?」
「違うよ。あーでもちょっとマニアックかも。科学関係の本読むの大好きなんだよねー。あんな難しいの読んで何が楽しいのかわかんないんだけど。それとね、家事掃除洗濯が大得意なんだよ。すごいでしょー?」
 あはは、と笑う和端に、田嶋が難しい顔を見せた。
「……どんな奴なんだそりゃあ? 顔見てみたいよーな、会いたくねぇような……」
「会ってみる?」
 和端が目をキラキラさせた。結局、自慢の同居人を他人に見せるのが楽しいのだ。彼を見た時のみんなの反応があまりにも予想通りすぎて、和端は嬉しくてたまらない。
「じゃあ、連れてきてやるよ。あいつはすごーーーーく嫌がるだろうけどね」
 楽しいイタズラを思いついたみたいに、和端は勝手に決定した。田嶋から時間と場所を聞きだし、「じゃあ後でね」と手を振って別れた。

 帰り際、和端は唐突にどこかから視線を感じて振り返った。大学を出てずいぶん経った頃だ。途中で電車に乗り、駅の改札を出て、家に戻る道の途中だった。
 親に頼んで借りたマンション。大学までは電車に乗って二駅である。マンションは駅から五分の場所なので、便利なことこの上なかった。
 きょろきょろと周囲を見回しても、何も見つからない。気のせいかと歩きはじめたところで、またもや視線を感じて足を止めた。
「……?」
 まさか最近はやりのストーカーかと思った。
(高嶺ならともかく、俺にはないか)
 と、すぐに考えを改めて、和端は再び歩き出す。陽は傾きかけているが、周囲はまだ明るい。わけがわからず首をひねり、頭をかいたところで、いきなり前方から来る人とぶつかりそうになった。
「うわおっ」
 反射神経には自信があったので、ぶつからずに済んだ。慌てて顔をあげると、目の前に立っているのは和端よりも幾らか年上そうな青年だった。
 端麗な顔立ちで、かなり賢そうだ。そんなに年の差は感じられないのに、この青年には大人の雰囲気が染みついていた。
 青年は驚いた様子もなく和端を見、それから笑顔になった。
「すまなかったね。考え事をしながら歩いていたのもので」
「いえいえ、こちらこそ。俺も他のことに気をそがれてましたので」
 ペコリと頭をさげて、青年と擦れ違った。その瞬間、何か違和感を感じて振り返った。
「……え?」
 振り向いた先に、さきほどの青年はいなかった。和端はしばらくポケッとして背後を見つめたままだったが、やがてクラクラする頭のこめかみ部分を指で押しながらマンションに帰ることにした。
 おかしな出来事の直後だったせいか、再び和端に降りかかる視線があったことに、当人は気づかなかった。

「ただいまー」
 マンションの部屋の鍵を開けて中に入った和端は、まず目で高嶺を探した。
 中からは何の返事もない。
「高嶺ぇ?」
 居間には誰もいない。もちろん和端の部屋にもいない。高嶺の部屋のドアを叩いてみたが、なんの応答もない。
 和端は眉をひそめた。
「また死んでんじゃないだろうね」
 つぶやいて、高嶺の部屋のドアを開けた。それぞれの部屋には鍵が取り付けてなかったので、入ろうと思えばいつでも入れた。
 しかし高嶺の部屋には誰もいなかった。本棚には難しい本がびっしりと詰まっていたし、ベッドはきちんと整えられていた。そこにいるはずはないのだが、和端は念のために洋服箪笥の中も、ベッドの下も探してみた。やっぱりどこにも高嶺の姿はなかった。
「出かけるなら出かけるって、朝ちゃんと言ってよ、もーっ」
 文句を言いながら高嶺の部屋から出た。
 それから手書きの住所録を引っぱり出して、共通の知り合いに片っ端から電話をかけた。
「絶対つかまえるからねっ。連れてくって約束したんだから」
 しかし手当り次第に電話をかけても、どこにも高嶺はいない。う~んと唸りつつ、次の知り合いに電話をかけた。
「あ、もしもし。俺、宮野和端。あのね、単刀直入に訊くけど、そこに高嶺いない?」
「ここにいんだから、いるわけねえだろ」
「うわあっ」
 突然背後から聞こえた声に、和端は驚いて受話器を取り落とした。見れば、高嶺の腕には重そうな買い物袋がさがっている。
「人がちょっと買い物行ってる間に、なにやってんだ?」
「なぁんだ、買い物だったんだぁ。……わるい。高嶺いたから、また今度ね」
 受話器の向こうの相手に言って、電話を切った。
「……なに? 俺を探してたのか?」
 買い物袋を床に置きながら、高嶺が怪訝そうに訊いた。
「うん。今日の夜ね、合コン行くって約束したから。高嶺も絶対来なね?」
「……ちょっと待て」
 高嶺が難しい顔をした。
「誰が行くって?」
「だから高嶺と俺と、あとたくさん」
「誰がいつ承知した?」
「俺が連れてくって言っちゃったから」
「俺がそういう集まりとか、ああいう盛り上がりとか、大っ嫌いなのわかってて言ってんのか?」
「そんなのよく知ってるよ。伊達に何年も付き合ってないよ。いいじゃん、高嶺だってもうちょっと人前に出た方がいいんだよ。もったいないだろ? せっかくモテるのに」
「人前なら出てるだろ。バイトしてんだから。なんかその言い方だと、まるで俺が自閉症の子供みたいじゃねえかよ。人聞きの悪い」
「他に誰もいないじゃん。平気平気」
 高嶺は深い深いためいきをついた。
「じゃあ今夜、和端はいないから晩飯は俺の分だけ作れば……」
「何言ってんの。高嶺も行くんだよ。少しは人との付き合いってものを大事にしなさい」
「……和端に説教されるようになったら、人間おしまいだな」
 嫌そうな顔で高嶺は自分の部屋に向かった。
 その後ろ姿に向かって、和端が言葉を付け足す。
「本当に行くからね。ちゃんと支度しなね。嫌でも絶対強引に俺は連れてくからね」
「行かねえよ」
 高嶺は部屋のドアを閉めた。
 態度では全身で拒絶しているが、いざ引っ張りだせば、しぶしぶでも連れていけることをこれまでの経験から和端は知っていた。

つづく
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