淫らな伯爵と灼熱の蜜夜 31

(執筆日:2016年07月21日)

 客室がリアナの部屋になってから、早いものでもう一週間は経つ。
 カレンダーがないので、イーシャに頼んで手に入れた羊皮紙に、羽ペンにインクをつけて正の字を書いていた。まずそれが、朝起きて最初にする日課だ。
 何月何日という概念はあるようだが、一家にひとつカレンダーがある世界ではなかった。日付や曜日を管理しているのは教会らしいが、ほとんどの人々があまり気にせず過ごしているようだった。
 まだ一週間しか経っていないのに、ずいぶん前からリアナだったような不思議な感覚になっていた。そもそも自分は本当に亜姫だったのだろうかと、あやふやになる。
 亜姫はリアナがずっと夢で見ていた架空の存在だったのではないか。そんな錯覚に陥ることも少なくない。近代的な日本でOLをしてた亜姫など最初からいなくて、すべてはリアナの夢にすぎなかったのではないか。
 人間の記憶の不確かさを改めて感じながら、リアナはテーブルに向き合って、懸命に亜姫だった頃のことを思い出そうと努めた。
 優しかった両親。幼稚園時代のこと。小学生時代のこと。中学生になってからや高校生になってからの友達や、先生のこと。授業内容。大学時代のこと。就職活動のこと。実家を出て一人暮らしを始めたこと。厳格だった祖父が、亜姫の成人式を見届けてから他界したこと。両親が祖母を呼んで三人で暮らし始めたこと。
 ああ、確かに私は亜姫として生きていた。
 そうやって毎日のように確認しなければ、大きな何かに飲み込まれるように、過去の思い出があやふやになってしまう。
 デュレンは毎日のように求めてくるのかと思っていたら、そうでもなかった。毎日いったい何に忙しいのかわからないが、城にいないことも多い。
 その間リアナは好きなように行動していた。一週間もいれば城内のことはだいぶ把握できる。
 デュレンが連れ帰ってきたフレングス子爵家の令嬢は、壊滅した家の娘とはいえ概ね好意的に受け入れられていた。タニアとイーシャは相変わらず愛想がなく淡々としているが、リアナを嫌っているのではなく、もともとそういう性格のようだった。
 イーシャから聞かされた、タニアがデュレンに好意を寄せている件についてはまだ確認していない。わざわざ訊くのも怖いので、触れるのはやめておいた。
 馬番をしている十三歳の少年はハリスといい、栗色の巻き毛を持つ活発そうな子だ。元は色白なのだろうが、外にいることが多いのか、だいぶ日焼けしている。
 年の近いイーシャやタニアよりも、この人懐こい少年のほうが遥かに話しやすかった。
 ハリスの仕事は主に馬の世話だが、乗馬で走るのも得意らしい。彼の実家は城下町にあるそうだが、ここで暮らしているのでほとんど帰っていないようだ。
「俺、拾われっ子なんだ。だから本当の両親じゃなくってさ。一緒にいても気まずいし、話すこともないし、デュレン様と出会ってここで働けるようになって、本当に助かってる」
 なぜかリアナには敬語ではなくタメ口のハリスだった。

つづく