(執筆日:2013年7月9日)
空中を舞う馬車は、山の上にそびえ立つ大きな城に向かって、突入しそうな勢いで走っている。
馬車の窓から見える光景に、リリアは身震いした。
どんよりとした暗い空。いばらの絡みつくおどろおどろしい城。
城のすぐ傍には断崖絶壁。その下には鬱蒼と茂る森が密集している。
これからリリアはここで暮らすことになるのだ。みるみる気が滅入ってきた。
(嫌だ。逃げ出したい)
そう思う気持ちばかりがせり上がってくる。
しかし馬車はまっすぐ城に向かって進んでおり、逃げ出そうにも空を飛んでいる。落下して死を選ぶか、このままおとなしく魔王の花嫁になるか。どちらかの道しかないのだ。
キリ、と唇を噛み締め、リリアは座席から動くのをやめた。ここで逃げ出せば国はどうなる。父は、母は、弟はどうなる。リリアには逃げる権利などないのだ。
国を守るため、両親を守るため、弟を守るために、リリアはここに嫁ぐしかない。そのためにここへ送られた。皆を守るために。彼女の気持ちも意思も無視された父の命令だが、それがリリアに与えられた役割だ。
馬車に乗り込む瞬間に決意したはずだった。揺らぎかけたその決心を、再び固める。
容姿も声も性格も知らぬ魔王。若いのか年老いているのかさえも知らない。まだ見ぬ魔王にもうすぐ出会う。リリアは緊張で全身がこわばるのを感じていた。
実はいつどこで魔王に見初められたのかリリアには覚えがない。ただある日突然父から、魔王の元へ行けと命じられたのだ。初めのうちは納得いかないと逆らったこともあった。しかしフィルニシア国王の命令は絶対だった。単なる家臣であれば、逆らった罪で首をはねられていたかもしれない。
その後、父には逆らえない母から何度も説得され、ようやくリリアは腹をくくった。
まだ見ぬ魔王が悪い奴と、まだ決まったわけではない。会ってみなければ本当のことなど何もわからない。わずかな希望だけを胸に、リリアは馬車の外を見つめた。
魔王の噂は人づてに聞いたことはあるが、どれも内容が曖昧で、不確かなものばかりだった。遠いどこかにある見知らぬ異国。魔王と呼ばれるのならきっと怖ろしい存在だろう。実際に見た者が誰もいないので、憶測だけが横行する。結局誰も本当のことなど知らないのだ。
父がどういう経緯で魔王と約束を交わしたのか、リリアは何も知らない。問い詰めてみたとしても父は教えてはくれないだろう。
空飛ぶ馬車は鬱蒼と茂る森の上を通過すると、どんよりとした空の下を駆け抜けて行き、みるみる城へと近づいて行った。近づくにつれて城の巨大さがはっきりしてくる。リリアは目を見張った。
我が国の城よりもずっと大きかった。緊張を通り越し、全身に戦慄が走る。
あれが魔王の城か。これからずっと暮らすことになるであろう――。