花嫁は魔王の甘い蜜に酔わされる 8

(執筆日:2013年8月10日)

「でも、彼は私のことなど何ひとつ知らないはずよ。一途になられる理由がないわ」
 ぼやくようにリリアが言うと、ミンがくすくすと笑った。思わず振り返ると、ミンが慌てて口元を手で隠した。
「申し訳ございません。笑うつもりでは」
「それはいいのよ。あなたは何か知っているのね?」
「ええ」
 ミンはリリアのみずみずしい肌を洗いながら、深く頷いた。
「ですが、私が口を滑らせるわけにはまいりません。ファルザス様に叱られてしまいます」
「隠し事が多いのね」
「いずれファルザス様がお話になられるでしょう」
「そうだといいけど」
 リリアは小さくため息をついた。一国の王女とはいえ、魔王から見ればただのちっぽけな人間の一人でしかないだろう。どこまで明かしてもらえるのか、さだかではなかった。
 髪まで丁寧に洗われ、リリアは時が経つのを待つ。やはりたった一人の侍女では時間がかかる。この後に食事会が待っているらしいが、間に合うのだろうか。そう思う反面でリリアは、このままのんびりと湯浴みを続けていたい心境でもあった。適温の湯は快適であったし、ミンとも気が合いそうだ。
 湯浴みを終えたら眠くなりそうだったが、この後は食事会、と脳裏で何度も唱えて気を張った。
「リリア様、そろそろあがりましょう」
「ええ、そうね」
 あまり長居しても全身がふやけてしまう。リリアはまだ湯浴みをしていたかったが諦めた。
 湯上り用の着衣を身にまとい、脱衣場まで戻る。すると、ミンがリリアの正面に立った。
 急に両手をあげたミンを、リリアは不思議に思いながら眺めた。
「どうしたの?」
「少々お待ちください」
 ミンはそう告げると、両手をリリアに向けてかざした。すると何か不思議な力が働き、濡れそぼったリリアの全身がみるみる乾いていく。
 髪からつま先まですべてが乾き、リリアは驚きに目を見開いた。
「……すごい!」
「瞬間的に場所移動するほどの力は持ちあわせてないのですが」
「これがあなたの持つ魔力?」
 リリアが問いかけると、ミンが頷いた。
「はい。でも魔族としては階級が低いので、この程度のことしかできないのです」
「でもすごいわ。私は何もできないもの」
「リリア様はファルザス様のお妃様ですから、何もなさる必要はございません」
 ミンがそう告げると、リリアは少し残念そうな顔になる。
「ここでの私の役割は、ファルザスのお人形になることなのよね」
「え? いえ、決してそのようなことでは……」
 慌てるミンを眺め、リリアは思わず笑った。
「いいのよ。もともとそのつもりで来ているのだもの。私にできることは何もないし、私の意思も関係ないのよ。ファルザスとお父様の間で取引が行われ、私がここに送られた。ただそれだけだもの」
「……リリア様」
 寂しく笑うリリアを、ミンが複雑な表情で見つめた。
 リリアはゆっくりと左右に首を振る。
「大丈夫よ。何度も覚悟を決めたもの。逃げ出しそうになるたびに、覚悟を決めてるの。それなのにまた気持ちが揺らいだりもするけれど、その時はまた覚悟を決めるの」
「ファルザス様はリリア様を大切になさるはずです。リリア様は決して取引の道具ではございません」
 ミンが真剣な顔で声を荒らげ、リリアは一瞬びっくりしたような表情になった。すぐに破顔し、自分よりも少し身長の低いミンの頭をそっと撫でた。
「ミン、ありがとう」

つづく