花嫁は魔王の甘い蜜に酔わされる 9

(執筆日:2013年8月27日)

 部屋に戻ったリリアは、ミンの手で入念な化粧を施され、夜会用のドレスを身につけた。
 単なる食事ではなく、多くの者が集まる食事会。ファルザスの妃となるリリアのお披露目会でもある。
 何者が集まるのか想像もつかなかった。今まで出会った魔族はファルザスとミンと御者だけだ。他の者も彼らと変わらぬ姿形なのだろうか。もしも異形だったら悲鳴をあげてしまうかもしれない。
「お綺麗です、リリア様」
 ほう、とため息をつき、ミンが言う。
 銀の長い髪を結いあげ、漆黒のサテン地のドレスを身にまとっている。コルセットに締めあげられた腰は、折れそうなほど細い。袖が長く、露出が少ないのは、リリアの肌を他の者に見せたくないファルザスの仕業だろうか。
「では、そろそろまいりましょう、リリア様」
 ミンの言葉にどきりとした。とうとうその時間がやってきてしまった。逃げたいような、行きたくないような気持ちと格闘しながら、リリアはその足を一歩踏み出した。
 ミンの案内に従いながら、長い廊下を歩いて行く。このまま到着しなければいいのに。この先に待っている状況を重荷に感じながら、リリアは内心で深いため息をつく。
 やがて一枚の扉の前に立った。ミンが扉を叩く。
 すると扉が勝手に開いた。
 リリアの視界が開けた。広い部屋の中央には大きな長テーブルが置かれ、たったひとつを除きすべての席が埋まっていた。外見がファルザスやミンとさほど変わらぬ者達で、リリアは内心で安堵する。湯の間でミンが大臣や貴族と言っていたが、故郷の城に集まる者達を思い出しそうなほど、見覚えのある光景だった。
(魔族と言えども人と変わらないものなのね)
 おかげでリリアの緊張はいくぶん和らいだ。
 長テーブルの一番奥で、ファルザスが待っている。唯一あいている席は、彼の隣だった。
 テーブルの上には豪華な食事がすでに用意されていた。人間の口に合うのかどうかはわからなかったが、料理の見た目はまともだった。リリアを気遣って人間の食事に似せてくれたのかもしれない。
 どれが大臣でどれが貴族なのかはわからないが、いずれもファルザスより年長に見えた。全部で十人ほどだろうか。席に向かって歩くリリアを好奇な眼差しで眺めてくる。席までの道のりが長く感じた。
「新たに私の妻となるリリアだ」
 席に座ると、ファルザスが口を開いた。
「美しいからと言って寝取ったりするなよ」
 突然、品のないことを彼が言い、皆が笑った。リリアは内心で不愉快な思いにかられたが、ドレスの布を強く握ってうつむくことでやり過ごした。
「では、食事を始めよ」
 ファルザスの一声で食事会は始まった。皆、ナイフとフォークを手に持ち、近い席の者と談笑しながら自由に食べ始める。
 リリアは紹介されたが、大臣や貴族たちを彼女には紹介しないらしい。彼らの名前も立場もわからないまま、リリアはナイフとフォークを手に取る。
「……ファルザス、これは何のお肉なの?」
「心配はいらぬ。そなたの世界に合わせて人間が食するものを作らせた」
「でも、それじゃあ、みんなは」
「気にするな。我ら魔族はどちらのものでも食せる」
 では、普段は何を食べているのだろう。リリアは想像しそうになって、慌ててやめた。
 食事会は純粋にリリアを見せるためだけのものだったようで、じきにお開きとなった。
 皆が部屋から去り、料理人がすべての皿を引き上げ、ファルザスとリリアだけが広い部屋に残る。
 リリアは、この部屋に入ってからすっかり忘れていたミンの姿がないことに気づき、戸惑いながら周囲を見渡した。彼女はどこにもいなかった。

つづく