(執筆日:2013年7月11日)
崖の頂上にある城壁に馬車が近づくと、重そうな門扉が自動的に開いた。どこかに人がいるようには見えない。
馬車は迷わず門扉をくぐり、さらに先へと進んで行く。すると大きな城が目の前に立ちはだかった。御者が手綱を引き、馬がいなないて馬車が停まる。辺りはしんと静まり返った。
御者が馬車から降り、リリアのいるほうへと向かってくる。深いフードに隠れていて、よく顔が見えない。彼は旅人のような服装の上にマントを羽織っており、足元には布製の靴を履いていた。背はすらりと高く、全体的に細身だが、頼りない細さではない。年齢は判断できないが、子どもでもなければ年老いてもいない。おそらく若い男なのだろうが、もしも魔族なら年齢と外見は比例しない。
かろうじて見えるのは口元だけだ。うっすらと微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
彼は腕を持ち上げると、馬車の扉に手をかけた。
(とうとう着いてしまった)
到着するなりリリアが思ったのは、そんな言葉だった。
何度も覚悟を決めたつもりだが、まだ心は揺らいでいた。もう逃げ出せないことはわかっていたが、この地に足を着けるまではと、内心であがいていた。
扉が開き、御者が手を差し伸べてくる。
「さあ、リリア様。城内の魔王様の元へとまいりましょう」
リリアはためらい、葛藤した後、ようやく諦めて手を差し出した。リリアの手を握った御者は、誘導するように彼女を馬車の外へと連れ出す。草花のない枯れたような地面に足を着けたリリアは、そびえ立つ城をそっと見上げた。
暗い空を背景にした大きな城は、どこか冷たく、よそよそしさを感じさせた。これからここに住むことになるのだ。リリアは再び決心しなおさなければならなくなった。
「リリア様の暮らしていた国とはだいぶ違う様相ですが、住めば都です」
見透かすような言葉が御者の口から飛び出し、リリアは内心で激しく慌てた。御者は口元を笑みの形に歪めたが、相変わらず顔そのものはフードで見えないままだった。
「さあ、まいりましょう」
御者の言葉に促され、リリアは一歩を踏み出した。
不思議なことに、城の扉には衛兵らしき者が立っていない。門番も不在であったし、見張り台にも誰もいない。魔王の城は守らなくても、何者かに攻撃されるようなことはないのだろうか。
リリアは内心で首をかしげながら、御者に促されるままに歩き出した。二人が扉の前に立つと、ギギギと音を立てながらゆっくりと開き始める。城内に足を踏み入れたが、やはり誰もいないようであった。
「兵士や使用人はいないのですか?」
リリアが質問をぶつけると、御者はまたうっすらと笑った。
「おりますよ。皆、恥ずかしがって隠れているのです」
「どういうこと?」
「我々魔族は、人間には慣れていないのです」
「……あなたも?」
リリアが問い返すと、御者はまた意味深な笑みを浮かべただけで、はっきりとは答えなかった。